★科学者になるまでは・・・

湯川にとって、お父さんのの影響はとても強いものでした。
お父さんは地質学者(地殻の性質・歴史などを研究する学問)で、湯川が生まれたときには東京の地質調査所に勤めていました。
お父さんは本をたくさん集めていたので、三男の彼を含め5男2女のいる家は数万冊の本で埋まり、子供たちが本のあいだで迷子になるほどだったといいます。 湯川も父の書斎に入り込んではたくさんの本を読みふけりました。

湯川は、無口な読書を愛する少年でした。
小中学校時代はよくいじめられたといいます。
旧制中学(今の高校)の1年生のとき、彼は3年生の柔道部の先輩に特にいじめられていました。
湯川も抵抗するでもなく、おとなしく一方的にいじめられていました。
ところが定期試験の直前になると勉強のできない先輩は急におとなしくなり、いつもいじめている湯川から、数学のテストの予想問題の講義を聴いたというのです。
なんと湯川は、1年生のときに既に3年生の数学をマスターしていたのです。
しかし、試験が終わるとまた元のようにいじめが始まったそうですが・・・。

彼が旧制三高を卒業する頃、彼が希望していたのは大得意だった数学科であり、物理学ではありませんでした。
大学進学の際、最終的に数学科でなく物理学科に希望を出したのは、実は高校最後の頃の理科の実験で先生「失敗」するのを見たときの印象からだったといいます。
予想をくつがえす結果が出ることもある自然を勉強する物理という学問の面白さに興味を持ったのです。


★主な研究・業績

「中間子の存在を予言」
原子核(物質の基本的構成単位で、最小の微粒子)を組み立てる陽子や中性子を「互いに結びつける力」が何かという問いに取り組み、両方の間に立ってなかだちをする未知の粒子「中間子」(電子と陽子や中性子の中間の質量を持つ新粒子)の存在を予言しました。
3年後には実際に「中間子」が発見され、1949年、日本人として初めてノーベル物理学賞を受賞しました。
この受賞は、戦後の国民に希望を与えました。



★エピソード

湯川はノーベル賞の性格を変えたといわれています。 
彼はは自然科学分野のノーベル賞を受賞した初の日本人であり、と同時に東アジアで初めての受賞でもありました。
それまでは白人に贈られる賞という印象があったノーベル賞でしたが、皆が認める日本の天才の受賞が、差別を取り払いました。
このあと日本人の受賞は、朝永振一郎、江崎玲於奈、福井謙一、利根川進、白川秀樹と続くことになります。