★科学者になるまでは・・・

メンデルは、小作人の子として1822年に生まれました。
彼はオーストリアのブリューンという都市にあるアウグスティノ会修道院の修道僧(僧侶)となり、のちに院長になりました。 

メンデルは学校の先生を目指そうと独学で科学を勉強していましたが、二度も教員試験に落ちています。
メンデルの職業は学者ではなく僧侶であり、プロの生物学者ではなかったという点で珍しい科学者であるといえます。
彼は1人、黙々と遺伝(生物の性質が親から子へ受け継がれること)の実験をはじめることになりました。


★主な研究・業績

「遺伝の法則の発見」
メンデルは「遺伝子」という考え方を生物学に導入した最初の人です。
メンデルは1857年からエンドウを注意深く何代も観察して、親の特徴が子孫に表れるときに、あるパターンがあることに気がつきました。
彼は、この決まりごとを実際に証明するためにエンドウを実験材料に選びました。
当時、エンドウはヨーロッパで広く栽培されており、他の植物に比べて、葉の色やさやの形、茎の背の高さなどといった「形質」がはっきりしているため、実験に向いていると考えたのです。
彼は、1857年からの8年間、エンドウを栽培、自家受粉(花粉が同株の花の雌しべについて受粉が起こること)して、225回もの単調な実験を繰り返しました。

<メンデルの法則とは・・・>
エンドウの色で簡単に説明してみると・・・
純系の赤紫の花が咲くエンドウと、白い花が咲くエンドウをかけあわせた場合、次の世代の花はすべて赤紫になる。
しかし、それらを自家受粉させると、4つに1つの割合で白い花が咲く。

メンデルは、エンドウの実験によって形質の遺伝に決まりがあることを発見したのです。



★エピソード

世紀の大発見をもたらしたエンドウの実験は何ヘクタールもある広い土地ではなく、メンデルの勤めていた修道院の中庭で行われたといいます。
とても狭い、面積にして90坪(縦15、横20)ほどの土地でした。
彼はここで8年間、35歳から43歳までエンドウの実験を繰り返したのです。ここは歴史的名所として今でも保存されています。

メンデルがこの論文を書いた当時は、学会で発表しても誰1人として注目する人はいませんでした。
彼は何の反応もない学界の状況に落ち込んでこうつぶやいたそうです。「いつか私の時代がきっとくる」
そして実際にメンデルの時代がやってくることになりました。
発表から35年後の1900年、生物の遺伝の法則を研究していた3人の科学者がいました。
この3人というのは、オランダのヒューゴー・ド・フリース、ドイツのカール・コレンス、オーストリア・ハンガリーのエーリッヒ・チェルマクという人たちです。3人は自分たちの研究を発表する前に、念のために同じ分野の昔の研究について、科学雑誌の古い号を調べていました。
そこで彼らは驚くべきことを発見するのです。
名もない雑誌にメンデルという男が、3人が発表しようとしていたことと同じ研究を、既に発表していたからです。
3人はそれらの研究を自分たちの研究だとは主張しないで、代わりに「メンデルの発見に注目するように」と世界に呼びかけました。
メンデルの研究は、彼の死後、ようやく日の目を見ることとなったのです。