★科学者になるまでは・・・
ラボアジエは1743年、パリに生まれました。
彼のお父さんは法律家で、ラボアジエも法律の学位を受けましたが、科学の勉強も熱心に行い、結局、大学では科学の道を選びました。
彼は大学を卒業後、政府に代わって小作人などから税金を取り立てる「徴税請負人(ちょうぜいうけおいにん)」という仕事をすることに決めました。
というのも、彼は「良い研究をするには実験道具や薬剤などを買わなければならず、多くの資金が必要だ」と考えたためです。
その当時、徴税請負人の取立てはひどいもので、小作人や働く人々たちは請負人を嫌っていました。
ラボアジエは、徴税請負人になって稼いだお金を使って、自分のための研究室を作りました。

★主な研究・業績

「質量保存の法則の発見」
その当時、金属はフロジストン(燃素)と呼ばれる不思議な物質と「金属灰(さび)」でできていると考えられていました。
金属を熱すると、フロンジストンが逃げて、あとに金属灰(さび)が残る、という説明です。
ラボアジエはこの説明の間違いに気づき、実験をしてみました。
彼はふたを閉じた容器の中でスズ(金属の一種)を熱してみました。
スズの一部は金属灰(さび)に変わりましたが、容器ぐるみの重さはまったく増えませんでした。
しかし、容器のふたを開けると、空気が容器の中に流れ込み、その結果、重さが増えました。
金属を熱すると、金属は、空気中の何物か(酸素)を吸い込んで、前より重い金属灰(さび)となります。
金属灰(さび)が得た重さは、空気の中から奪われた重さと同じでした。
このことから「ふたをした容器の中で化学反応を行うと、全体としては、重さが増えることも減ることもない」ということをラボアジエは見つけました。
これが質量保存の法則(しつりょうほぞんのほうそく)です。
物質が燃えるなどの化学反応によって、「物質は消えてなくなるのでも作り出されるのでもなく、ただ前と後で形が変わるだけなのだ」ということです。
彼は1789年に実験をまとめた「化学要綱(かがくようこう)」を出版。
これは現在、私たちが勉強している化学の教科書のもとになったともいえる歴史的な本です。



★エピソード

1771年に結婚した彼の妻は、腕のいい画家で、ラボアジエが実験をするときにノートをとるのを手伝ったりしました。
彼は絵が下手だったため、実験の図や絵が描けなかったためです。
一緒に研究する仲間がいなかったラボアジエにとって、夫人は非常に心強い実験助手を務めたのです。

1972年、フランス革命がおこって、徴税請負人たちを全て捕らえるようにという命令が出されました。
逮捕されるときに彼は「徴税請負人として得たお金は科学の実験のために使った」と抗議しましたが、ついに1794年、断頭台で首をはねられました。
フランスの天文学者であるラグランジュは後に「ラボアジエの首を切るにはほんの一瞬の時間しか必要でなかっただろうが、彼と同じ頭脳を生み出すには、100年あっても足りない」と嘆いたそうです。
現在ではパリの市役所に彼の像が飾られています。