★科学者になるまでは・・・

北里柴三郎は、幕末の1853年、熊本県阿蘇郡北里村の庄屋の長男に生まれました。
実家は庄屋でしたが、柴三郎は「これからの日本は学芸で生きるべき」と、医学の道を選びました。

明治維新のころに成人した北里は、熊本医学校に進み、オランダ人医師マンスフェルトからオランダの医学を学びました。
しかし外科しかないオランダ医学よりもドイツの内科学を学びたいと考え、東京医学校(後の東大医学部)に転学しました。
その後、32歳にしてベルリン大に留学しました。


★主な研究・業績

「破傷風菌の純粋培養に成功」
ベルリン大に留学し、最初に取り組んだ研究は破傷風菌(はしょうふうきん)についてでした。
「破傷風」とはヨーロッパに広まっていた死亡率の高い病気で、農作業の時に体の傷口から菌が入って感染します。
ドイツは農業が盛んだったため、この病気の治療法が望まれていました。
治療法を見つけるためには、まず菌を培養(菌の中から毒素を取り出すこと)できることが絶対条件でした。
しかし当時、この菌の純粋培養は難しく「不可能ではないか」との声が高かったのです。
しかし北里は「破傷風菌は空気を嫌う」ということに気づき、、水素中での培養を試み、ついに成功。
この発見は、北里の名を一躍有名にしました。

「破傷風の免疫療法を確立」
北里は破傷風の「免疫療法(めんえきりょうほう)」を確立し、さらに名声が高まりました。
免疫療法とは免疫反応を利用した治療法のことです。
免疫とは、病気の菌などが体の中に入ると、それに打ち勝とうとする力が働くことです。
彼は大学のセミナーで、破傷風に対する免疫を持ったマウスの血清(血液が固まるときにできる透明な液体)を別のマウスに注射すると、そのマウスは破傷風にかからないという実験を行い、その場にいた人を驚せました。



★エピソード

破傷風菌の純粋培養はノーベル賞級の仕事といえます。
しかし1901年の第一回ノーベル生理学医学賞を受賞したのは、同僚のベーリングでした。彼は、ジフテリアという病気に対する免疫療法を確立した功績で受賞したのです。
しかし、これは北里の破傷風でのやり方をジフテリアに応用したにすぎず、完全なまねっこの研究だといえます。
そのころはまだ日本人に対する差別の風潮があり、北里は受賞できなかったのです。
周りの人間が悔しがる中、北里は「世界的環境で研究させてもらえただけで感謝している」と語ったそうです。