★科学者になるまでは・・・
ガリレオは1564年、イタリアのピサに生まれました。
彼は小さい頃からものをつくることが好きで、成長するにつれてオルガンを弾いたり、歌や詩やなども書きました。
お父さんは、彼を医者にしようと思っていましたが、ガリレオの気持ちは物理の分野へ動き始めていたのです。

★主な研究・業績

「振り子の等時性を発見」
振り子の等時性とは、「ひもの長さが同じなら、振り子が大きく揺れているときも、小さく揺れているときも、往復にかかる時間は同じ」という性質のことです。
ガリレオがこの法則を発見したのは弱冠19歳、ピサ大医学部の学生のときでした。
それも偶然のひらめきによって発見したのです。
ある日、彼はピサ寺院での礼拝に参加していました。
彼は、天井のシャンデリアを何気なく見上げていました。
シャンデリアは風によって、あるときは大きく、あるときは小さく揺れていました。
ところがシャンデリアが大きく揺れても小さく揺れても往復時間に差がないように思った彼は、自分の脈拍を時計代わりにして、その往復時間をはかりました。
思ったとおり、往復時間がすべて同じであることに気づいた彼は、すぐに家に帰り、その結果を数式にし、さらに実験で確かめるなどして、等時性の原理を発表しました。
 

「落体の研究」
それまでは、アリストテレスの唱えた「10倍重い物体は10倍早く落下する」という落下の法則が信じられていました。
しかしガリレオは「物体の重さによらず落ちる速度は一定である」ことを見つけました。
このことを証明したとされるのが、1590年に行われたとされるピサの斜塔での有名な落下実験です。
どんな物体も同じ速さで落下し、地上に同時に到達することを証明する目的で、高さ55メートルのピサの斜塔で実験は行われました。
みんなが見守る中、10倍重さの違う2球(1個は木で1個は鉄)を同時に落下させたところ、それらは実際に、同時に地面に着ききました。
そのとき、2000年間も信じられてきたアリストテレスの落下の法則が、打ち破られたのです。
(※鳥の羽がゆっくり落ちるのは空気の抵抗のため。表面積が大きく軽い物体は、空気抵抗のためゆっくり落ちる。空気抵抗がなければどんなものでも同時に着地するはずです)

「地動説の主張」
ガリレオは1609年に望遠鏡を発明して、天体の運動の研究に取り組み始めました。
彼の後半生は「地動説」をめぐる宗教裁判との戦いでした。地動説とは、「地球が自転(自分で回転すること)し、太陽の周りを回っている」という主張です。
その頃のローマ教会の立場は、「天動説」(すべての天体が地球の周りをまわっているという学説)支持でした。
そのせいか、ガリレオは1615年、宗教裁判所にうったえられてしまいます。 翌年、判決が下り、彼の地動説の本の全てが禁書となりました。 これが第一回目の宗教裁判です。
ガリレオはこの後7年間、静かにしていましたが、1632年には「天文対話」という本を出版。 これがまた教会の怒りを買うこととなり、第二回目の宗教裁判となりました。
第二回宗教裁判は、1633年に決着が着き、彼は法廷の場で聖書に手を置いて正式に「地動説は間違いだった」とむりやり言わされました。
このとき彼が言ったとされる有名な言葉が「それでも地球は動く」です。
その後彼は、フィレンツェ郊外の自宅に幽閉の身(家から一歩も出てはいけないこと)となりました。
最後の4年間は両目の失明もあり、1642年、77才の生涯を終えました。
ガリレオとローマ教会との仲直りが最終的に完了したのは、実はつい最近のことなのです。
1989年、ヨハネ・パウロ二世が「ガリレイを宗教裁判にかけたのは間違い」と発言し、1992年10月、名誉回復宣言されました。



★エピソード
ガリレオこのほかにも、月の表面に凹凸(でこぼこ)があることも発見しました。 現代ではこのような天体の表面の凹凸は「クレーター」と呼ばれています。
また、天の川が無数の星の集合であることも発見したのもガリレオです。