★科学者になるまでは・・・
エジソンは1847年、オハイオ州のミランに生まれました。
子供のころには天才らしいところはなかったといいます。
彼は周りの大人たちを捕まえては、質問ばかりしていたので、近所の人たちは彼のことを「変わり者」だと思っていました。
小学校では集団になじめず、テストが近づくと荒れに荒れました。
彼は学校では問題児で、完全に浮いていたのです。
先生は彼に「お前はだめなやつだ」といいましたが、エジソンのお母さんはそれを聞いて怒り、わずか3月で学校ををやめさせました。

お母さんは家庭でエジソンを教えることになりました。
周囲が息子を責めても常にお母さんは彼をかばい、唯一の味方となりました。多くの本をを与え、エジソンもそれをむさぼり読みました。
またエジソンは一冊の科学本の興味を持ち、そこに書かれている実験をやってみました。
自分の家に化学の研究室まで作ってしまったのです。

大掛かりな実験をするにはより多くのお金が必要で、彼は12歳から資金を得るために、鉄道で新聞の売り子をはじめました。
15歳になるともっと稼ぐために、自分で新聞を印刷して発行し、毎号400部を売るほどになりました。
資金のたまった彼は、列車に連結された荷馬車の空きスペースになんと化学実験室を作ってしまいました。
ある時、運悪く列車が急カーブにさしかかった際に実験中の装置が倒れ、火事が発生。
火は消し止められましたが、乗務員は怒り、彼のやっと買いそろえた貴重な実験道具を全て車外に投げ捨ててしまいました。

彼はその後に発明した「株式相場表示機」(株式仲買人に最新の株価を知らせる装置)でかなりの売上をもたらし、この資金をもとに1876年、ニュージャージー州のメンロパークの広大な敷地に巨大な応用科学研究所を立てました。


★主な研究・業績

エジソンはわずか23歳で実業界へ入りました。
彼が亡くなるまでに取得した特許数は1300件を超え、現在でも「発明王」と呼ばれています。
エジソンは電話を改良して実際に使えるようにしましたし、また蓄音機(レコード)、映画、アルカリ電池など今日も残る様々なものを開発しました。

最大の実績:「白熱電球の発明」
当時は照明にはガス灯が使われていましたが、むき出しの炎は火事の危険もあり、照明としては不十分でした。
1878年、当時31歳だったエジソンは、この問題にこれから取り組むと発表。
彼の能力に対しては、誰もが、信頼を寄せていたので、ニューヨークとロンドンの株式一場ではガス灯会社の株価が暴落したほどです。
エジソンが求めていたのは、白熱状態になるまで熱しても溶けたりしない導線でしたが、この条件を満たしたのは金属ではなく、もろい炭素の繊維でした。
これは45時間点灯し続け、この年の暮れには数十灯を大通りに並べてデモンストレーションを行いました。
しかし長持ちの点でどうしても越えられない壁がありました。
エジソンがついに、すべての条件をクリアする素材として発見したのは「竹」でした。
エジソンは、より長持ちする竹を求めて、東南アジア、日本、竹の本場中国など世界中から数十種の竹を入手しました。
その中で最良のものが日本の京都の竹林から切り出した孟宗竹(もうそうちく)という竹でした。
実験の結果、京都の竹でできた電灯は1000時間以上点灯し、世界初の実用電灯となりました。



★エピソード

子供のころからエジソンは、疑問を即、実験に移す行動力が抜群でした。
火がなぜ燃えるのかを知りたいと思い、納屋で火を燃やしてみて火事をおこすこともありました。
エジソンの姿が見えなくなったのでみんなが心配して探したら卵を温め孵化させるのは人間でもできるはずだとごはんも食べずに卵を抱いて鳥小屋に閉じこもっていた、などなど驚きのエピソードがあります。

エジソンの一日の実働は20時間にもおよび、睡眠はたった4時間ほどだったといいます。
発明や特許は5日に1件、4年で300件といったペースで行われ、10日に1件は何らかの発明品が完成した計算になります。
その発明の大部分はすべて30代の10年間になされたものでした。
「天才とは90%の努力と10%の発想のできることである」と述べたことでも有名です。