★科学者になるまでは・・・
ダーウィンは、イギリスで1809年に生まれました。
彼のお父さんとおじいさんは医者であり、おじいさんは詩人でもあり、博物学者でもありました。
ダーウィンは裕福な家で暮らしていました。

はじめ、ダーウィンは医学を学ぶためにエジンバラ大に入学しましたが中退。彼は血を見るのが苦手で、外科手術に立ち会った際に倒れて、医者には向いていないことを知り、卒業をあきらめたという話も残っています。
ダーウィンは今度はケンブリッジ大に再入学しました。
彼の興味はもっぱら博物学にあったのです。

1831年の卒業の年、海軍の測量船ビーグル号の調査員に採用され、5年の航海へ出かけました。
ここから、彼の人生は大きく変わることになります。


★主な研究・業績

ダーウィンの「進化論」
彼は博物学者としてこの航海に参加し、動物植物を研究することになりました。
ビーグル号での航海の間、ダーウィンは様々な観察を通して進化(生物が、周囲の条件などによって、長い間にしだいに変化すること)についての考えを深めていきました。 ダーウィンは、ビーグル号が南へ進むにつれて気候もかわり、それとともに植物や動物も変わるということに気づきました。
東海岸には東海岸特有の、西海岸には西海岸特有の数多くの種類の動植物が住んでいるのです。
彼は、南アメリカのガラパゴス諸島で1つの事実に気づきました。
ここにはイギリスのフィンチ(すずめ)に似た小鳥がすんでいましたが、島によって住んでいる小鳥の「種」(掛け合わせて子孫を作ることができる植物や動物の特定の仲間)がそれぞれ違っていたのです。
あるものはくちばしが薄く、あるものは短く、あるものは長く、あるものは曲がっていました。
ではなぜ、それぞれの小さな島に特有の、それぞれの種のフィンチがいるのでしょうか。
「はじめは一種だけだったのが別な小島に離れて住むうちに別々の種となったのではなかろうか」、とダーウィンは考えました。
そしてそれぞれの島にいる昆虫などのえさのうち、自分が食べるえさに応じてくちばしも変わってきたのではないのか。
彼は「種は変化する」「生物は自然環境の違いで変わっていく」という結論に達しました。
ダーウィンは進化論を発表しましたが、生物種が変化するという主張はキリスト教の考え方と対立し、一般社会にも大きな影響を及ぼしました。



★エピソード

船を降りてからのダーウィンは決まった仕事につかず、家でぶらぶらしていました。
金持ちのお父さんに甘えて暮らしていたのです。
毎日広い庭を散歩しながら、調査で得た考えを仕上げるため、本を集めたりといったのんびりした生活でした。
凝り性の彼は、進化論についての発表を全17巻にするいう計画を立てていたため、いつになっても進化論は日の目を見ませんでした。
彼はとことんマイペースで筆を進めていました。
そんなさなか、ダーウィン49歳のとき大事件が起こります。
彼より14歳も若い無名の博物学者ウォーレスから論文の草稿が届き、ダーウィンに意見を求めてきたのです。
ウォーレスはダーウィンと同様の調査航海を行い、4年間の調査を2日間で論文にまとめたというのです。
ダーウィンは論文を見て驚きました。
進化についてのその論文の結論は、ダーウィンと同じだったのです。
ダーウィンがビーグル号の調査航海から22年もかかってまとめようとしている考えと、ウォーレスが4年間の調査から2日で得た結論が全く同じだったとは!
彼はウォレスに手紙を送り、共同で研究結果を発表しました。
ウォーレスがいなければダーウィンの進化論をまとめた名作「種の起源(しゅのきげん)」も世に出なかったでしょう。